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オシャレな街のスタート地点「同潤会」と雑木林の代官山

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オシャレな街のスタート地点「同潤会」と雑木林の代官山

東急電鉄東横線・各駅停車しか停まらない『代官山』。見過ごされてしまいそうな小さな駅ですが、皆さんご存じの通り、表参道や青山と並び女性に大人気のオシャレスポットです。

表参道や青山には古くからの観光地、明治神宮があるからこそですが、代官山はちょっと違います。そもそも名前からして「代官の山」だなんて、オシャレな雰囲気とはかけ離れた名前ですよね。

「代官」は武家時代の役職。時代劇などで悪い大棚の店(皆様のイメージでは越後屋でしょうか?!)と組んで、善き民から倍の税を取り立てしている・・・そんな悪代官のイメージもあるかも。

地名としての『代官山』は、江戸時代に登場。お代官様の屋敷か山林、土地があった・・・いろいろいわれていますが、根拠のある資料はなく、名前の由来はハッキリしていないそう。ただ唯一ハッキリしていることは、もともとはとても緑豊かな森で、関東大震災以降にたくさんの人が住み始めたということ。

大正12年に起こった関東大震災では、地震による家の倒壊のみならず巨大な火災が発生しました。スタジオジブリ制作の宮崎駿監督の映画『風たちぬ』でも関東大震災の様子が描かれましたが、火の勢いはものすごく、多くの人が焼け出され家を失いました。

最新鋭のモダンアパートメント群の登場!

この復興支援のために設立されたのが財団法人「同潤会」。丸焼けになった下町深川や上野、横浜の山下町などに、火事に負けない耐久性の高い建物として、当時ではとても珍しかった鉄筋コンクリート造(RC造)のアパートを建築したのです。

このアパートの特徴は、なんといっても最先端の近代的な設計と設備! パソコンどころかテレビもなかった時代、電気・ガス・水道完備! そして汲み取り式便所が主流だった中、水洗トイレやダストシュートも完備。丈夫な屋上にはサンルーム・・・羨望の居住施設として華々しく迎えられました。

同潤会のアパートはそもそも都市部のサラリーマンを対象に建てられたアパートでしたが、かなり家賃も高額。それでも大人気だったそうです。その理由は設計・施設はもちろんですが、コンセプトのハッキリした今でいうデザイナーズマンションだったこともありそう。

例えば、お茶の水女子大学の近くに建てた「大塚女子アパート」は職業女性向け。もちろん他にもれず、モダンでとても贅沢。建物内には女性好みの雑貨屋、食料品店、お菓子屋、フルーツパーラーなどの店舗が! 部屋にも、ミシンやピアノ、まだまだ珍しかった真空管ラジオなどがあり、居住者が自由に使えたそう。娯楽の少ない当時ですから、きっと夢のようなアパートですよね。

そのほかにもデパートにしかなかったエレベーターがあるものや、洗濯室や食堂、談話室や娯楽室が設置されたものなどなど。子育て向きの地区に建てられたものは、近隣に児童公園、公衆浴場など、地域や周囲も一緒に整えられました。

同潤会の建てたアパートで最も有名なのが「青山アパート」。今の「表参道ヒルズ」です。特にこの「青山アパート」は軍人、役人、大学教授などしか入居できない超高級アパートで、建築当時から明治神宮への観光バスが立ち寄るほどの名所となったそう。

緑豊かな子育て地区としての同潤会アパートメント

そんな同潤会が昭和2年、震災で大破した青山女学院の跡地に建てたのが「代官山アパートメント」。丘を見上げるように20棟が建てられ、供用施設や店舗が充実していたそう。そしてこの頃から、『代官山』という地名がしっかりと文献に残り始めました。

とはいえ、この「代官山アパート」が建った当時の『代官山』は、なんと辺り一面雑木林! 夜になると真っ暗で、ぶきみにふくろうが鳴くような、とても寂しい地域だったそうです。でもこれも今の『代官山』の、緑が豊富でキレイな、お散歩エリアとしての横顔につながっていますよね。

この同潤会「代官山アパート」を皮切りに、『代官山』には次々とモダンでオシャレな建築物が建てられていきました。そしてそれと一緒に、オシャレなファッションアパレルやレストランが増え、単なるお代官様所有の山から、オシャレスポットに変身していきました。

今でも少し探せば、まだまだ雑木林であった時代の顔がたくさん残っています。小さなお家や路地、見上げれば鮮やかな緑。特徴的なモダンな建物を背景に撮影したり、ぶらぶらお散歩するのにぴったりの小さな街。それが『代官山』です。ぜひ街並みを感じながらお散歩してみてくださいね。

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