ヴァイラーギャ:満員電車の中で執着を手放す
2015.09.03
毎日の消耗するエネルギー量を考えて。人生のペースを落として快適を。
abhyāsa-vairāgya-ābhyāṁ tan-nirodhaḥ ॥12॥
悩みや苦痛を含む「心の作用」は、修習(アヴィヤサ)と離欲(ヴァイラーギャ)によって止められる
― パタンジャリのヨガスートラ 1-12
満員電車は少し苦手。
そんな人も多いのではないでしょうか。
満員電車にはたくさんの「心」が乗っている場所でもあります。
頑張っているOLさんらしき人。
ちょっぴり疲れたサラリーマン。
季節によってはたくさんの子供たちや浴衣姿、たくさんのお土産など、いかにも行楽を楽しんできたらしき人。
満員の電車に乗って、やすらぐ家に着く人もいれば、いざ仕事の人もいるでしょう。
ある日、満員電車に乗ると、ひとりの女性が頑として奥に入るのを拒んでいます。
そっとその人を避け、その女性の後ろに乗ったのですが、ふとした電車の揺れで彼女に近づくと、なんと思いっきりの肘鉄が飛んできました!
「なんてことだろう?!なんでこの人はこの場所にこんなに執着するの?!」
怒りと悲しみのような心や感情がこみあげてきたとき、ふと、思ったのです。
私もまた「快適であることに執着していた」のではないかと。
切望から生まれる苦しみ
ヨガの哲学的な考え方の中に「移り変わる物に執着しない」というものがあります。
ヨガのもっとも有名な教科書『パタンジャリのヨガスートラ』の1章12節に、ヴァイラーギャとアヴィヤーサの学びとして紹介されます。
ヴァイにあたる「ヴィ」はサンスクリット語で「~がない」ということ。
ラーギャである「ラーガ」とは「色」の意味で、情熱、感情、興味などを表しています。
ヴァイラーギャとは「色を超えて進む」または「色を消す」という意味です。
私たちは良くも悪くも、自己の経験という色眼鏡をかけて世の中を観察しています。
メガネの色が青ければ世の中を青く見ますし、赤ければ赤く見てしまうのです。
その色をすべて落とした、透明なメガネで世の中をみること。
心に欲望や願望の色をつけずに、物事をただ、ありのままにみること。
過ぎゆくものに心を奪われないように
様々な「心」を乗せて旅ゆく満員電車。
たとえたくさんの人が乗っていても、いつまでも一緒ではありません。
電車で出逢ったこの女性も、いつかはその場を離れ、電車を降りるでしょう。
私ももちろん、いつかは電車を降りるわけです。
その場の状況はいつでも、移り変わるモノです。
同じように楽しさや不愉快なども、次々と移り変わる「心の作用」。
私たちを苦しめる、たくさんの不快感や不安の多くは「執着心」から来ています。
いろいろなモノ、コト、そしてキモチに執着するあまり、私たちは苦を感じたり、不安を感じたりいているのです。
その瞬間を大切に
では「執着」は悪いことなのでしょうか?
いいえ、決して悪いことではありません。
それは自らの身体を守り、心を守り、そして生活を守ることに直結していることだから。
ヨガは確かにポーズを競う競技ではないけれども、アサナがのびのびと綺麗に取れることは、やはり身体の健康にも近づきます。
おそらく誰もがそれを楽しいと感じるでしょう。
そしてそれが、心の健康にも繋がっていくのです。
ヨガを学び、瞑想を続けることで、私たちが手にするもの。
それは「執着のバランスの在り処」かもしれませんね。