天上天下唯我独尊。ただこの命のまま尊いということ。
2015.09.04
『天上天下唯我独尊』、歴史の授業で聞いたことがあるのではないでしょうか。または仏教伝来の授業のときに、上下に手を伸ばした小さな仏像と共に習ったかもしれません。
この言葉は、仏教の開祖とされる釈迦(仏陀)が誕生したときの言葉とされています。ヨガの生まれた地に近いインドとネパールの間あたり、北インドで、王家を継ぐ王子として生まれたのです。
そんな裕福な家柄に生まれた釈迦でしたが、人生の苦『生・老・病・死』に気づき、29歳で出家します。難行苦行(ヨガもこのうちにありました)の末、35歳で悟りを得、仏陀となり、衆生を救済するため仏教を開いたのです。
『天上天下唯我独尊』とは、釈迦が誕生した瞬間に七歩歩いて右手で天を指し、左手では地をさし言ったとされています。ちょっと偉そうに見えますよね。そう、まるで『この世で一番偉いのは自分である』といっているように聞こえるから。
まさに『自己中心』や『傍若無人』と同じ意味で使われることすらあります。この気持ちがあったからこそ、(自分を戒めるために)修行に出たのだ、とする人さえいますよね。
間違って伝わった『天上天下唯我独尊』本当の意味
でも実は本来の意味は違うのです。本来の意味はこう。
『この世にただひとつの自分は、誰にも変わることのできない存在として生まれており、ただこの命のまま尊い。』
天にも地にも、すべてのひとつひとつの命の存在である「私」はひとつしかないもの。誰にとって変わることの出来ない命である。だから何をしなくても、そこに生まれているだけで尊いのだ、ということを説いているのです。
命の尊さは、人であるなしはもちろん、能力や学歴、地位、名誉、財産などといったすべての付属物を越え、そのままで尊い『命:自分』なのです。
人は他の命の存在とは少し違うところがあり、たくさんのことを成すことが出来ます。たくさんのことを選べます。だからついつい成功や勝ち取ること、つまりともすれば、なにかが出来るから自分は偉い、価値がある、と思いがちです。
そしてさまざまなことに優劣をつけ、他人と比較し、多くのことを手にした自分こそ価値ある存在で、偉いのだと錯覚したり、逆に何もすることが出来ず、成すことが出来ない自分には価値がないと、落ち込んだりするのです。
『天上天下唯我独尊』。多くの日本人が歴史の授業で出合うであろうこの言葉は、ヨガで大切にされている「命:自分を大切することの意義」を説いている言葉のひとつなのです。
あなたはあなたのままで素晴らしい
自分を大切にしましょう。他人と比較して傷つく必要などまったくないし、他人より優れているからといっておごり高ぶるものでもないのです。何も自分が成していないように思えても、実は多くのことを成し遂げ、多くの影響を世に与えているものです。
命はすべて平等。私たち人は、誰もがこの平等な命の動きの中で生かされ、生きています。自分の価値を何かに求めるのではなく、自分の命の尊さを、ただ見つめるだけで良いのです。
その練習が、釈迦も学んだヨガの中にあります。ヨガには、自分の価値を認めるためのヒントがたくさんあるのです。