歌うことで自然に帰る ─キルタン
2018.05.16
声を出していると、声が、自分の内側から出ていることに改めて気づきます。
『キルタン』とはサンスクリット語で『歌う』という意味です。
音楽と共にサンスクリット語のマントラをチャント(詠唱)する、古い歴史を持つバクティヨガの練習として紹介されます。
1960年代にアメリカに紹介され、参加型のライヴミュージックとして広まり、2013年には、クリシュナ・ダスがグラミー賞にノミネートされ、「ヨガのロックスター」と話題になりました。
参加型として名高いキルタンは、基本的にコール&リスポンス(呼びかけと応唱)の形式。
リードの人が1フレーズ歌い、それを皆で繰り返して歌うことから始まります。
もちろん曲によっては、全員一緒に歌うこともあります。
最初はただシンプルに、リードの歌を繰り返して丁寧に歌い、次第に歌の音の波と一体になっていきます。
伝統的には、ハルモニウムと呼ばれるインドの鍵盤楽器や、タブラという打楽器と共に歌われます。
でも今は、ギターやピアノ、バイオリンなどといった、ポピュラーな楽器と共に歌われることも多くなりました。
人にとって歌うとは
歌はどのように生まれてきたのでしょうか。
人は複雑に発声する力を持ってから、長い時間をかけて、具体的な意味を持つ「言葉」へ声を変えました。
やがて言葉より高度な、しかもより複雑で自由な表現を望み始め、音と共に声が深まり、歌が生まれたといわれています。
もちろんその間も、人は次々と新たな、便利な道具を作り続けてきました。
狩猟のための道具に始まり、生活に欠かせないものや、家具、楽器…様々なものを作りだしました。
そして現代では、手足では出来ないこと、さらには目や耳、そして五感では感じられないことまで届く、便利な多くの道具へを造り出したのです。
しかしそうした多くの道具は、より強くより遠く、よりたくさんのものを自分が手にいれるために!
そして外へ外へ! という、人の願望を通して進化してきたのです。
それに対して声や言葉の進化は、より内側へ、自己の内へと深まって行きました。
ペンは剣よりも強し、歌は言葉よりも強し
言葉がメロディーに乗り、歌となることで、より人の心に作用しやすくなり、意味に深みが増していきました。
そしてときには、複雑化しすぎた言葉や、拡がりすぎた世界の中で、もっともっと内側の、人の持つ複雑な想いの真髄を、クリアに伝えるものとなったのです。
「歌う瞑想」
キルタンを歌っているうちに、自分の声を通して、内なる自分と対話するための架け橋がかかることを感じるでしょう。
キルタンは単なる参加型ライヴミュージックではなく、自己の振動を通し、自分自身の内部のより深層へ、繊細に導かれるヨガの学びなのです。
そして同じ声、言葉を通して、自分自身が他者とどのように関係性を創りあげていくのか。
外から内へとなにかを取り入れる生活を続けてきた人間にとって、もう一度、自分の内側にある自然な状態、自然な声を見出だすこと。
歌うことはもしかしたら、人を人らしい自然な状態に導くための、大切なツールなのかもしれません。