ジヴァムクティヨガ ―「3月の狂気」
2018.03.10
北インドのリシケシュの国際ヨガフェスティバルをきっかけに、ジヴァムクティヨガの先生たちと交流しています。
― ヤージュルヴェーダとイーシャウパニシャッドより
これはマントラです。
マントラとは、サンスクリット語で文字や言葉のこと。ヤジュールヴェーダとイーシャウパニシャッドはどちらも聖典類の文献です。
このマントラを、ジヴァムクティヨガのサンスクリット語の先生でもあるマノラマが英訳しています。
それを日本語訳すると、以下のようになります。
「それは全体で、これも全体である。全体から全体が明らかになり、全体から全体が否定されても尚、残ったものも全体である。」
すべては純粋なひとつのもの
このマントラにちなんで、もうひとつ紹介されている言葉があります。
シュリ ニサールガダッタ マハラジという人物によるものです。
『あなたの真実の自然体は純粋な光のみです。
それを知覚される者と知覚する者は、共に訪れ、共に去っていきます。
それはその両方に可能にし、訪れがまだである時は両方共にまだなのです。
それが真の存在しえるものです。
ここに「これ」とか「それ」というものは存在せず、有ることと無いことへの、純粋な気づきがあるだけなのです。』
先人による、これらの言葉が伝えていることは、「これ」とか「それ」という二極は無いということ。あるいは、二極の“分離”とも言えるかもしれません。
「これ」や「それ」があるから起こること。
例えば、物に置き換えると「これ」や「それ」を“所有する”ということが起こり、そうして「こちら」や「そちら」という概念が起こります。
そしてこの“所有”や“分離”していることが、物欲や争いの元になったりします。そこに真の喜びや幸せは無いのです。
喜びや幸せを買うことは出来ません。
満足を買うことは出来ません。
不満を持ちながら自分たちの飢えを満たしてくれるものは「何も無い」のです。
なにもないから、すべてある
スワミ ビヨンダナンダは、こう言ってその学びを伝えようとしました。
『何が問題であったとしても、解決はしてくれるものは「何も無い」。
薄毛の治癒するものは「何も無い」。
取れないシミを取り除くものは「何も無い」。
完全に安全な食べ物は無い。
永遠に続くものは無い。
これは、究極の悟りの道具である、つまり、全てにおいての秘密は「何も無い」というそのことなのである。
「何も無い」ことを理解することは全てを理解するということである。』
そして、その学びを伝える手段として、彼は「何もない」(英語でNothing)と書かれた箱を作ってそこへ置いたのです。
「これも無い」「それも無い」ことが問題解決の手助けとなるでしょう。
全てという全体を認識することだけが、満足と充足を見つけるのです。
どうでしたか?
ヨガには沢山の学びがありますね。