ジヴァムクティヨガ ―『基本に戻る』
2017.10.06
たまに海辺へ出かけます。海辺に落ちる夕陽の美しさには誰もが心奪われますね。
viśokā vā jyotiṣmatī ॥36॥
神聖さへ集中することは、軽さと自信をもたらす
- Yoga Sutra I.36
今回も引き続き、ヨガスートラからの一節から始まりましたね。
このテーマ、神聖さに集中するとは、どういうことなのでしょうか。
Viśokāとは、神聖さに集中している状態を表しています。
それは日々や瞬間に変わり行くものではなく、変わらないもの、神聖なものへ集中している状態です。
変わり行くものへ意識を向けることは、心配や後悔、摩擦などを創り出します。
変わらないものへ意識を向けることは、良い結果を創り出します。
良い物質、良い物体のそばに居る事がヨギには大切なことなのです。
なぜなら私たちは、そこから影響を受け、その影響を受けたものに自然と成っていくからです。
これを特別なことだと思いますか? それとも、当然のことだと思いますか?
誰もが身に付けるつながりの力
産まれたばかりの赤ちゃんを想像してみて下さい。
赤ちゃんは、親あるいは周囲の人、そして環境に与えられたものを吸収し、それが経験となり、知識となります。
これを繰り返しながら、やがて人格を形成していきます。
これは、赤ちゃんや子供に限ったことではありません。
私たちは大人になってからもずっと、この過程を繰り返しています。
だからこそ、良い物質、良い物体・・・大きく言えば、良い環境の中に身をおくことが大切なのです。
これには、共に過ごす人や仲間も含まれます。
良いつながりは、精神的な(魂の)成長の鍵となる大切な要素なのです。
変わることのない、神聖なものへの集中を実践していくヨギは、その神聖なものの素質を自らの内側で育てていくのです。
あらゆるところに神聖さを見出す
神聖なものに、複雑なものは殆どありません。
それは慈愛だったり、他者への想いだったり。
私たちが途切れなく行う呼吸だったり、夕陽を美しいと思う気持ちや、木陰が作る日陰への感謝・・
そういったものだからです。
少し気にして周りを見てみて下さい。
感じてみて下さい。
きっとあなたが注意を向けるための沢山のものが、自分自身の内側に、そして周りに存在しているのでは?
どうでしたか?
ヨガには沢山の学びがありますね。