ヨガスートラの教え:いつでもどこでもヨガの実践、人それぞれ。
2015.10.28
電車の中でも、デスクワークや家事の間でも。いつでもどこでも、ヨガの実践は自分次第なんですね。
ヨガの練習の目的は、人それぞれだと思います。練習の目的を、数名の方に伺ってみました。すると十人十色。「病気にならない体を手に入れたいから。」「心が解放されていく感じがするから。」「運動不足だったから。」・・・
やっぱり様々。でもこうして違う目的を持ちながらも「ヨガ」を選び練習を続けています。不思議ですね。
ヨガをどんな風に練習する?
私の目的はというと、 感情から少し離れたところから自分を見れるようになるため。
『ヨガスートラ』でいわれている「繰り返しの練習」と「長く、途切れなく」。このふたつが合わさると、たちまち練習ハードルが高くなりますよね。ではここで、著者と伝えられているパタンジャリ先生のいっている「練習」とはどんなことなのかみてみましょう!
『ヨガスートラ』でいわれている「繰り返しの練習:アビヤーサ -abhyasa」とは、「自分がヨガに求めるものに近づくための練習」を指しています。つまり私の場合は、「感情から少し離れたところから自分を見る」というための「繰り返しの練習」ということになります。
そしてさらにその練習は、「意図して行っていく」と書かれています。
自分の意思/意図をもって繰り返し練習をしていくと、だんだんと癖がついてきて意図しなくても習慣になってきます。習慣になるまでの一定の期間は、腹を据え、繰り返し練習をしていくと決めるのです! すると自己のヨガの目的が達成されるといいます。
自分が出来ることで繰り返し練習していく大切さ
私は、心のが騒がしい(忙しなく意識があちこちに飛んでいる/感情に囚われている)ときには、自らの意図をもって、いろんなアクションをしてみています。
例えば自転車に乗っているときであれば、ハンドルを強く握り締めて内側に意識を集中させてみます。意識を集めるとしばらくしてふ~っと、穏やかさが戻ってきます。
歩いているときでも足の裏に意識を集中させたり、つり革に触れている手に意識を寄せたり、バリエーションも様々。これもヨガの「繰り返しの練習」なのです。
パタンジャリ先生は、毎日のアサナの中で練習でしなさいといっているわけではありません。
少し座って、自分の呼吸を調えることや、シャバアサナになって全身の力を隈なく抜いていくこと。また身体に良い食べ物を摂ったり、意識を自分の身体に向け労わり、その労わりから生まれる愛を家族や困っている方へ分けていくこと・・・
そんなことがパタンジャリ先生のいっている「繰り返しの練習」のように思います。そして、意図をもって長く長く、いつでもどこでも繰り返すことでいつの間にか良い習慣となり、それが自身のヨガを成功させていくのだと思うのです。