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都会の新緑の中で深呼吸を味わえる「西郷山公園」

都会の新緑の中で深呼吸を味わえる「西郷山公園」

洗練されたオシャレな街の『代官山』。実はとても古い歴史の街でもあります。江戸時代には関東代官の薪山として、広大な雑木林が育てられていたそう。この代官山の端に「西郷山公園」という広く美しい公園があります。

この西郷山公園一帯は、江戸時代、幕府派で文治教育の普及に尽力した中川久貞の屋敷がありました。この屋敷の庭は美しい樹木がうっそうと茂り、三田用水路から水が引かれ、広大な泉を配して造った庭園の美しさは近郊随一とうたわれたそう。この美しい回遊式庭園は江戸名所として当時の地図にも載り、広く知られていたそうです。

この頃から近くに薩摩藩の屋敷があり、時代が過ぎ、明治時代になると薩摩出身者が盛んに屋敷を建てはじめました。そのひとりが、西郷隆盛の弟で軍人だった西郷従道(じゅうどう)。明治維新のときに政治に敗れ一般民になっていた兄・隆盛の再起を願って、この辺り一帯の土地を取得したといわれています。

その後、兄が政権から外れたにも関わらず、西郷從道自身は維新政府の中枢になりました。明治初年から度々海外に視察に出掛け、国内では陸・海軍、農商務、内務などの大臣を歴任、在日外交官との接触も多かったそうです。そのためこの広い敷地内に、素敵な書院造りの和風本館と少し離れたところに、接客の場として鹿鳴館さながらの本格的な美しい洋館を建てたのです。

ハイソサエティのスタートとしての代官山

この洋館は、フランス人でお雇い外国人の土木建築技師レスカスの設計と考えられ、そして流れるような曲線の廻り階段や天井に張られた押し出し模様の鉄板、扉金具など細部に至るまで、大変美しく贅沢な造り。江戸ゆずりの泉に面して半円形に張り出されたベランダは『ロミオとジュリエット』のバルコニーのよう。内部を飾る部品はほとんどが舶来品という豪華さでした。

レスカスは皇居の地盤調査やドイツ公使館や三菱郵船会社の建物を設計した人物。当時の日本建築の耐震性についての論文を自国の学会誌に寄せているそう。この西郷邸も当時にしては珍しく耐震性が考えられ、屋根には軽い銅板を葺いたり、壁の下の方にレンガを重りとして埋めるなどの工夫が見られるそうです。

こうして美しい屋敷は建てられたものの、残念ながら兄・隆盛は西南戦争で敗れ、この地に住むことは出来ないままその生涯を閉じました。この広大で豪奢な美しい屋敷の跡地が「菅刈公園」と「西郷山公園」を含む一帯なのです。

西郷家はその後渋谷に引っ越し、この地は当時の鉄道省・日本国有鉄道の手に渡りました。第二次世界大戦には空襲により本館の和館が焼失。少しずつその姿を変えていきました。

それでもこの広大な敷地のはじにあった小さな山を、付近の人々が「西郷山」という通称で呼びはじめ、昭和の後半、邸宅跡地の一部分が公園として整備されると、そのまま「西郷山公園」として残りました。この地にあった美しい洋館は、愛知県犬山市の明治村に移築され、現在は国の重要文化財に指定されました。

西郷さんゆかりの山の上の憩いの場

「西郷山公園」は、まさに屋敷があった跡地の「菅刈公園」から見上げる山に向かって、大きな斜面を利用してつくられています。山の上には芝生の広場と展望台。三田用水ゆずりの小さな池に向かって、20メートルの落差をもつ人工の滝が作られています。園内のゆるやかな坂道と芝生広場を取り巻く園路は、歴史を感じられる華やかなお散歩道。江戸名所だったという回遊式庭園をほうふつとさせますよね。

今では近隣住民や訪れる人の憩いの場として、そしてさまざまなドラマの撮影場所としても有名になりました。周辺は閑静な高級住宅街でとても落ち着いた雰囲気。晴れた日には遠く富士山が見えることもあります。またこの展望台や芝生から見る美しい夕日は一見の価値あり。代官山の緑豊かなイメージの一翼を担う、都会の中にあるとは思えない素敵な公園です。ほんの少しオシャレな街を離れて緑の中で、深呼吸を味わってみませんか。

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